東海道由比宿

日本平・久能山東照宮編
2002年9月26日バスツァーに行ってきました。
当日は残念ながら曇り空、富士山も見えないし景色も今一でした。(・・,)グスン
ゆい桜えび館にバスを止め、東海道由比宿へ。由比は東海道五十三次16番目の宿場町。
美術館・博物館・趣味の店・お土産物店があります。昼食は桜えび館で桜海老づくし。
写真撮るの忘れた〜!(;^_^A アセアセ
東海道広重美術館
歌川広重の作品を一堂に収蔵展示する
世界で最初の美術館。
東海道五十三次の版画の緻密さに感嘆!
桜えび館から由比宿に行く途中の
八幡宮
石  垣
本陣井戸
由比家家紋
立て札
松榧園

表門
馬の水飲み場
物見塔
あづまや
内苑
外苑
本陣井戸
由比本陣記念館
御幸亭
東海道広重美術館
外苑にある立て札
由比本陣公園
物見塔
表 門
馬の水飲み場
由比川橋(ゆるやかな太鼓橋)
おもしろ宿場館
弥次喜多人形が目印
由比は桜海老の町
大法寺
正 雪 紺 屋
本陣公園の向にあり、代々紺屋を営み
由比正雪の生家と言い伝えられている。
現在は藍染めの小物等を売っている。
由比正雪の乱
慶安四年(1651年)四月、三代将軍家光が死去すると、その七月、由比正雪らにより、
幕府転覆が企てられた。世にいう慶安事件である。
 七月二十九日を期して、江戸・駿府・京都・大阪で一斉にことを起こし、全国の浪人を蜂起・糾合。
正雪は、久能山において東西の指揮にあたるという壮大な計画であった。
 しかし、直前に訴人する者があり、計画が露見。七月二十六日、由比正雪は駿府城下の梅屋で
同志と共に自刃し果てた。
 残された遺書には、「今の幕府の政治には、多くの者が困っている。人を集め、事件を起こすことで、
心ある人にこのことを知ってもらい、政治を改めさせようと思った。」との旨が記されていた。
 幕府は、この事件を重くみて、浪人の取り締まりや、大名の取りつぶしをゆるめ、浪人の救済にあたった。
由比正雪の祠
正雪は、自刃直前同志にある品物を託した。
それは当家の屋敷裏に埋められ、江戸時代が
終わるまで、ひそかに供養されていた。
明治になり掘り出そうとしたところ、手をかけた
者が全員熱を出したため中止。
その跡に祠を建て、現在に至っている。
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